24歳になりました。この数日の学びと怒りと勇気について話します。

24歳になりました。

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サンフランシスコでお祝いしてもらった時の写真。祝っていただいた皆さんありがとうございます!

たくさんのメッセージありがとうございます。24歳の誕生日はサンフランシスコで迎えることになりました。こちらはいま29日の夜中2時くらいで、参加しているNQAPIAのカンファレンスの最終日です。

NQAPIAはアジア太平洋諸島出身(や、所縁のある)LGBTQコミュニティということもあり、カンファレンスでは特にインターセクショナリティ(差別や抑圧の"交差性")について考えさせられる場面が多くありました。

ジェンダーセクシュアリティ、人種、宗教、障害などを理由とする問題が重なり合ったときに、より排除されてしまったり周縁化されてしまうことについての議論が多数行われていました。

現地の団体もいくつか視察し、例えばサンフランシスコのアジア系LGBTQコミュニティであるAPIENCや、LGBTQに対して法的なサポートを提供するNCLR(National Center For Lesbian Rights)、Transgender Law Center、また、家族関連や現場支援としてOur Family CoalitionやSan Francisco Community Health Centerなども見てきました。

特にトランプ政権によって、LGBTQコミュニティがより厳しい状況に置かれている中でどのように現実に対応するか。運営を持続するためのファンドレイズや組織のオーガナイズ。例えばどの訴訟が国レベルでインパクトがあるか、どの問題にフォーカスしてプロジェクトを立ち上げるか。戦略的にひとつずつ組み立ていくことの重要性について非常に学びが多かったです。

 

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自分だけの力でこれまで歩けてきたわけではない

先日、日本では杉田水脈氏の件について抗議が行われましたが、参加できなかったのはとても悔やまれます。

SNSで流れてくる映像や記事を見て、ひとりひとりの想いや言葉に心が震えているのを感じました。それは怒りだけでなく、嬉しさや暖かさでもありました。

 

日々生きている中で突然投げかけられる心ない言動に直面した時、これまでは「社会はこういうものだ」と、「自分が適応してうまいことかわしていく方が良い」「波風を立てないようにうまく立ち回った方が良い」と思っていました。ひとりひとりの人生や生き方について考える際は、いまでもそう思う部分はあります。その方が生きるのが楽だから。

しかし、ふと自分の歩いてきた道を振り返ってみると、決して自分だけの力でこれまで歩いてくることができたわけではないということに気づくことができます。

こうして私がゲイであることをオープンにして発信できるのは、ずっと以前から声をあげ続けてきてくれた人がいたから。もっと言えば、セクシュアリティに限らず、例えば教育を受けられたこと、医療サービスを受けられて日々健康に過ごせていること、男性としての部分でこれまでの人生でアクセスしやすかった場面があることなど、自分だけの力では得られないことやある種の特権を与えられていたのかなと思う部分もあります。

先を歩いて道を開いてくれた人の努力について考えずに享受し、生きられるということ自体はとても幸せなことだと思います。しかし、それは決して「だから私たちは次の世代には引き継がなくて良い」ということではないと思うのです。

少なくとも私自身は、次を生きる世代が、私たちよりももっと楽に、自分の可能性を存分に発揮できるような社会を作っていきたいと思っています。

優しさだけでは守られない

今回の杉田氏の発言は、一方的に優劣をつけて誰かを貶めることを良しとしてしまうような非常に危険な考え方です。こうした考えにはしっかりと継続的に批判していかなければなりません。

また、その批判の内容についてももう少し考えていく必要があると思います。

「日本は昔から寛容だった」という話や、「制度はないけど外国で起きる身体的な暴力も少ない」といった話もよく耳にします。今回の件に対しても多く見かけた意見です。確かにそうした部分もあるかもしれませんし、現に私はこれまで友人や家族にカミングアウトした際、幸いにも快く受け入れてくれた方ばかりでした。現在のLGBTを取り巻く日本社会の良い所はたくさんあります。しかし、「だから日本に差別はない」ということにはなりません。

抗議活動のスピーチで林先生が仰っていたように「優しさ」だけでは解決できない、優しさだけでは守ることができないときがあるのです。

仕事を失った時、パートナーや家族に不幸が起きた時、自分の居場所を失った時、自分の力ではどうしようもできない所に追いやられてしまった時、周りの人の優しさだけでは解決できないことがあります。

だからこそ、どんな人でも守られるような制度が必要だと私は思います。

これは決して上から目線で「弱い立場の人を守る」というものではないと思います。なぜなら、私自身、明日自分の身に何が起こるかわからないからです。明日、もし何か自分の力ではどうしようもできないことが起こった時、ちゃんと守られる社会であってほしいからです。

勇気もたくさんもらいました

杉田氏の文章や動画での発言は、最初「またいつも通りのめちゃくちゃな内容で何か言ってるな」くらいに思っていたのですが、この件に意を唱えて共に怒ってくれる人がLGBTに関して発信している人以外にもたくさんいたことをとても心強く感じました。

これまで自分ひとりの力で生きてこれたわけではないからこそ、ひとりの力には限界があるからこそ、互いに手を取り合い、連帯することで大きな力となる。サンフランシスコで出会った団体やLGBTQコミュニティの人々、日本で杉田氏の件に意を唱えた人々から私は勇気をもらいました。このバトンを次の世代に引き継いでいきたいと私は思います。

この1年も、自分にできることを積み重ねていきたいと思います。